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古甲州道と甲州街道、甲州裏街道は

檜原村の上川苔から古甲州道の一部であった浅間尾根へ登り時坂峠を経て本宿に至る延長8.0㎞のコース。江戸時代には甲州裏街道(古甲州道とも中甲州道とも)と呼ばれた生活道で、馬により木炭等の生産物を運び出し、日用品等を運び入れる要路として、村人のほかに小河内や西原の人たちも利用していたという。[2014年11月15日撮影:第21回自然観察会@阿部]

古甲州道と甲州街道、甲州裏街道は

古甲州道は戦国時代以前の武蔵府中と甲斐府中(今でいう道東京都府中市から山梨県甲府市酒折まで)を結ぶ道。秋山川沿いを檜原村、小菅村、大菩薩峠を越え、山梨県に入る。武田氏と後北条氏の戦いの戦力の道でもあった。武蔵国と甲州国との物資交流の要路。江戸時代に入り、徳川幕府は五街道や脇街道が整備。甲州街道は五街道のひとつ。日本橋から諏訪市まで、八王子、大垂水峠、小仏峠、笹子峠を越え、山梨に入る。また、脇街道である青梅街道(甲州裏街道)が慶長11年(1606年)に開設され、難所であった多摩川沿いの数馬の岸壁も元禄年間に掘削され切通が完成すると古甲州道は利用されなくなった。今日、旧甲州街道と呼ぶのは、甲州街道のうち旧道区間(国道20号ではない区間)のことであって、古甲州道とは異なる。古甲州道の小菅村白沢から古富士道が分岐しています。秩父方面からは盛んに富士講の道として使われ続けたという。

街道の名称や呼称は本当に厄介であります。なぜならば新しい道ができたとしても古い道の一部を使ったりしているからです。したがって、起点や終点、区間をはっきりさせないで名称を使うと不正確になることがままあるということです。

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