投稿日: カテゴリー 三宅島森づくり 活動レポートタグ

旧阿古中学校は語る+α

1983年(昭和58年)、雄山火口から下る溶岩が旧阿古中学校校舎に流れ込んで止まった。[2015年6月7日撮影:第10回エコカフェみんなの森づくり@鈴木]
かつて校庭であった場所は一面分厚い溶岩原と化し、校舎は鉄筋コンクリートの骨格がむき出しになっており、熱と重みでへしょげた鉄骨は錆が容赦なく蝕んでいた。

旧阿古中学校は語る+α

真っ黒な溶岩原は山の方から年々緑が戻ってきており、ハチジョウイタドリは大きなパッチをつくり、ラセイタソウやわずかにハチジョウススキオオバヤシャブシクロマツの若木も育ってきています。葉が枯れ積り土ができると緑の回復は一気に早まるでしょう。
毎年、植林で訪れたら、その変化を観察していきたいと思います。

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